『沈黙 -サイレンス-』で嫁ちゃんとお話したこと

 ホラー映画じゃないので、こっちで書きます。『沈黙』を見たんですよ。はい。

 「弾圧されて、拷問されたり処刑されたり差別されたりしているのに、何故、神は救いの手をさしのべてくれないのか?」

 知るかボケ!俺の認識ではキリスト教はいまでも世界中で争いの種を振りまいている癌なので、やり方は別にしても、当時のキリスト教排除は正解だったと考えている。

 それはさておき、『沈黙』に登場する連中は実に身勝手だ。ちょいちょい現れては告解を要求するキチジローは一本筋が通っているので良い。しかし、他の連中はどうよ。布教こそが神の意志だの、生まれた瞬間にはパライソにいるだの好き勝手に教えを曲解している。その果てに「何故、神は我々を救わないのか?」ときてる。ほんとにこいつらアホじゃないのか。

 「そりゃあ、”お前の中の神が死んだからだろうが!”」

 と苛つきながら嫁はんと話をしていたら、彼女が突然「ナマニクよ。それは違うぞ!」と言い出した。曰く

 「あれは、”神の救済”と”各々の救済”の齟齬。神に判断を求めているようでは、まだ救済の必要は無い。自らの無力を認め、神すらも自分自身から消え去った時にこそ、慈愛がまっている。新訳聖書のマタイの福音書に”貧しいやつは幸せだ”とかそれっぽいことが書いてある。」

嫁ちゃんは、子供の頃に教会通いだったので、ちょっと詳しい。聖書を引っ張り出して見てみると”それっぽい”ことはマタイの福音書 第5章3節にあった。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです 

ウチにはボロい聖書があって、ホラー映画の元ネタ探しなどに便利なのでたまに読む

うーん。これだけではちょっとワカランので、文献をあさって調べてみる。
どうも”心の貧しい人”とは支えや誇りとなるものを何も持っていない人のことのようだ。そして”天の御国”というのは救いをさすらしい。つまり、あのイエス野郎はこう言っているのだ。

どんなに貧しい者であっても、誇るべき者を何も持っていなくても私はあなたを愛する。あなたを背負い、支えている。だからあなたは幸いなのだ。だから、それを喜び安心して生きていけ。

こう考えてみると、『沈黙』の後半、ロドリゴが踏み絵に足をかけ「転ぶ」場面に登場する「踏みなさい」に繋がる。転んだロドリゴは信念に背を向けたまま天寿を全うする。日本に残った最後の司祭という想いを胸に抱きつつ”自分にできることはもう何もない。”と絶望したまま死んだ彼。それは彼らの聖典の解釈によっては、救いだったのかもしれない。

なるほどなあ。こういう面でキリスト教は面白いなあ。世界の癌だけど。

ありがたいことを教えてくれた嫁ちゃんのレビューはFilmarksで読めます

何かにドン詰まったときに、神……というか、なんでもいいから超自然的な上位の存在が心の支えにできるってのは悪いことではないんだよなあ。俺は信じてないけどさ。

イタリア旅行記1(初日の移動)

会社が2週間も休みをくれたので、イタリアに行ってきた。10泊12日間の長期旅行。

ローマからヴェネツィアへ

日本からベネツィアへの直行便はないため、いったんローマで乗り換え国内線でヴェネツィアへ。レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港ことフィウミチーノ空港はバカみたいにだだっ広い空港だ。到着ロビーから”スカイブリッジ”と呼ばれるモノレールのようなAPMで移動する。

ひーひーいいながら乗り換え、ベネツィアの夜景を眺めて人心地つく。

ベネツィア空港からバスでメストレ駅まで行き、何もない夜道を何もないトランクと一緒にガラガラと移動
ようやっとHOTEL PIAVEへ。移動だけでヘトヘトである。

次の朝は早速ベネツィアの島々を巡る。

『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』を読んだよ!

「大島てる」という固有名詞に轢かれて読むと肩すかしを食うかもしれない。
なぜか?「大島てる」から連想されるような、”面白事故物件”やそれにまつわるエピソードがメインに据えられているわけではないからだ。
本書に書かれているのは、ひょんなことから大島てる氏と知り合い、事故物件に興味を持った著者が
「そもそも事故物件とはなんなのか?」を独自視点で綴ったルポタージュだ。

もちろん”事故物件”という言葉から期待されるような話ーー糞尿とゴキブリに塗れた状態でぶっ倒れて亡くなった生活保護受給者のエピソードや
事故物件入居者の奇妙な日常のレポートーーーもある。しかし、本書の醍醐味は著者の”ごく普通の視点”での解説だ。
事故物件に住んでみたら、死体があった場所が気になって仕方がないのではないか?不可思議な現象が起こったりしないだろうか?
霊の存在を感じたりするだろうか?孤独死の現場に立ち会ったらどんな気持ちになるだろうか?事故物件に関わる業者は、どのように物件と向き合っているのだろうか?

奇をてらわない普通の感覚での取材は、読み手との一体感を生む。(著者の菅野さんは友人なので、尚更なのだが・・・)
菅野さんの著作は、感覚や目線が冷静かつ普通なので、どれもこれも軽く読めて楽しい。オススメ。