玉製家のおはぎ

 前回の雑記の続き。大阪旅行だっつってんのに、嫁ちゃんから「ナマニクよ、貴様1人で行くのだから、土産くらいはちゃんと買ってこい。赤福だ!」という指令下っておりました。UE神さんに「嫁が赤福買ってこいっていうんですよ」なんて話をしていたら「餡子好きなら、いいおはぎのお店がありますよ!」と教えられたのが玉製家

どれどれと14時開店に合わせていってみたら、このザマ。

「あー、でもなぁ、並んでるんだよなあ……。まぁ行ってみてくださいよ!」とは言われていたものの、月曜でもここまでとは・・

この日は36℃くらいあったはずだが、嫁ちゃんのため並んだのですよ。しかし、列が全然すすまない。おはぎを詰めるだけなのに、どんだけかかってんだよ?っていうくらい進まない。かれこれ30分くらいかかってようやくのれんの前へ。

老舗感あふれる藍染のれん。頭が擦れるところだけ、すり切れていてなんとも味がある

 女将さんに「中へどうぞ」と言われ店に入ると、注文を聞かれる。粒あん、こしあん、きな粉の3種類で箱買いが基本。箱は6個、8個、10個、15個。中身は1種類でも良いし、半々でもいい(15個は5つずつの3種類もできる)になる。10個入りのこしあん+きな粉を注文し、待つ。必ず女将さんは「あんこは明日の昼まで、きな粉は本日中。冷蔵庫には絶対に入れないでください。」とお客さんにゆったりとした口調で丁寧に案内している。なるほど、列が進まなかった理由はこれか・・・。

 家に持って帰って開封してみると、きな粉は、まぶされた砂糖の影響で餅米から水が出てしまっている。なるほど、これで一日おいたら確実に腐るわ。。。と思いながらモフモフと喰う。ははー、塩か。塩が強いのか。これは関東ではなかなかお目にかかれない塩気のつよいおはぎだ。好き嫌いは分かれそうだけど、俺は気に入った。また買いに行こう……。
 

映画秘宝セレクション『映画と残酷』発売記念 「V-ZONE~廃盤、絶版ビデオ祭り~ナマニクの日」にかこつけての大阪旅行


『映画と残酷』で余程力尽きたのか、ブログの更新なんかしたくもねぇ!という投げやりな気分が続いていたので、ご無沙汰しておりました。「とにかく書き続ける事です」と秘宝の岡本さんからのお言葉もあり、FilthyのVol.2にも手を付けなければ……と言うなか、大阪のV-ZONEの皆様に呼んでいいただき、映画秘宝セレクション『映画と残酷』発売記念 「V-ZONE~廃盤、絶版ビデオ祭り~ナマニクの日」をやってまいりました。

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アルベルト・ジャコメッティ展


 やたらとヒョロヒョロしたブロンズ像でお馴染みのジャコメッティ。彼の作品はモダンな美術展で幾つか出展される程度だったのだが、今回、ピンで展覧会をやっているというので観に行ってきた。俺は実存主義だのなんだのというのは、よく知らないし興味も無い。ただ、見たままのを表現しようとしたら、人体が細く長くなっていったというのは、とても面白い。それにこれらの作品、ヒョロ長いだけが特徴ではない。実際見てみると分かるのだが、彼の作品はやたらと目に執着している事がわかる。ブロンズ像では分からないが、リトグラフや紙に書かれた彼のスケッチを見ると、それは明かだ。

 「空間を現実に存在するモノとして作られる彫刻は全てインチキだ。空間の錯覚があるのみ」と彼は言っていたという。ただの通路にしか見えない狭いアトリエに住みながらも「自分にとっては、ここは無限の広さを感じる」とも。このイタリア系のオッサンの目には何が見えていたのか。

アイキャッチ画像は、ジャコメッティの人生を描いた映画『Final Portrait』(2017)。日本公開予定があるそうだが、妙な邦題にならないことを祈る。

めっちゃイギリス英語なのが気になる・・・。

『沈黙 -サイレンス-』で嫁ちゃんとお話したこと

 ホラー映画じゃないので、こっちで書きます。『沈黙』を見たんですよ。はい。

 「弾圧されて、拷問されたり処刑されたり差別されたりしているのに、何故、神は救いの手をさしのべてくれないのか?」

 知るかボケ!俺の認識ではキリスト教はいまでも世界中で争いの種を振りまいている癌なので、やり方は別にしても、当時のキリスト教排除は正解だったと考えている。

 それはさておき、『沈黙』に登場する連中は実に身勝手だ。ちょいちょい現れては告解を要求するキチジローは一本筋が通っているので良い。しかし、他の連中はどうよ。布教こそが神の意志だの、生まれた瞬間にはパライソにいるだの好き勝手に教えを曲解している。その果てに「何故、神は我々を救わないのか?」ときてる。ほんとにこいつらアホじゃないのか。

 「そりゃあ、”お前の中の神が死んだからだろうが!”」

 と苛つきながら嫁はんと話をしていたら、彼女が突然「ナマニクよ。それは違うぞ!」と言い出した。曰く

 「あれは、”神の救済”と”各々の救済”の齟齬。神に判断を求めているようでは、まだ救済の必要は無い。自らの無力を認め、神すらも自分自身から消え去った時にこそ、慈愛がまっている。新訳聖書のマタイの福音書に”貧しいやつは幸せだ”とかそれっぽいことが書いてある。」

嫁ちゃんは、子供の頃に教会通いだったので、ちょっと詳しい。聖書を引っ張り出して見てみると”それっぽい”ことはマタイの福音書 第5章3節にあった。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです 

ウチにはボロい聖書があって、ホラー映画の元ネタ探しなどに便利なのでたまに読む

うーん。これだけではちょっとワカランので、文献をあさって調べてみる。
どうも”心の貧しい人”とは支えや誇りとなるものを何も持っていない人のことのようだ。そして”天の御国”というのは救いをさすらしい。つまり、あのイエス野郎はこう言っているのだ。

どんなに貧しい者であっても、誇るべき者を何も持っていなくても私はあなたを愛する。あなたを背負い、支えている。だからあなたは幸いなのだ。だから、それを喜び安心して生きていけ。

こう考えてみると、『沈黙』の後半、ロドリゴが踏み絵に足をかけ「転ぶ」場面に登場する「踏みなさい」に繋がる。転んだロドリゴは信念に背を向けたまま天寿を全うする。日本に残った最後の司祭という想いを胸に抱きつつ”自分にできることはもう何もない。”と絶望したまま死んだ彼。それは彼らの聖典の解釈によっては、救いだったのかもしれない。

なるほどなあ。こういう面でキリスト教は面白いなあ。世界の癌だけど。

ありがたいことを教えてくれた嫁ちゃんのレビューはFilmarksで読めます

何かにドン詰まったときに、神……というか、なんでもいいから超自然的な上位の存在が心の支えにできるってのは悪いことではないんだよなあ。俺は信じてないけどさ。