I want to believeの巻 雑記(2019/10/21~2019/10/26)

 今週は、下のツイートのとおり、AMGエンタテイメントさんの件でバタバタと始まりましたが、収束しました。

 AMGエンタテイメントさんから企業として誠意のある謝罪を頂きました。AMGさんとは「お互い、良い映画の宣伝が出来れば良いですよね!」というところに落ち着き、来週ご挨拶に伺う予定になっています。何回でも言うますけど『セーラ 少女のめざめ』は、非常に良いホラー映画なので、未見の人は見て下さい!

 ああ、そうそう。面白いといえば『ZOMBIEPURA』ですね。シンガポール初のゾンビ映画。これね、すっごいベタなゾンビ映画なので、もしかすると”退屈”と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、ベタ故に判りやすくて楽しい作品に仕上がってます。シネマート新宿/心斎橋で開催される「のむコレ3」で上映されます。よかったらご覧くださいませ。

 閑話休題。それでですね、最近、Webの映画関係メディアに対して「この人達は、本当に映画が好きなのだろうか?」という疑問が沸々と湧き出ておりまして、俺、秘宝関連とZINE、そして創作に専念した方が良いんじゃないだろか?っと思ったりもしてます。いや、思ってるだけですけど。Web自体が非常にノイジーというか、突き詰められていないというか、言ってしまえばライト過ぎて「金貰って宣伝してます!」「バズればそれが正義!」感が前面に出過ぎなんですよね。そんなことは無いと信じたいんですが……。
 その点、ホラー映画については、ホラー通信さんだけは傑出した信頼度と突き抜け感を保っていて、他はうーん?て思っています。僕は僕なりに色々とチャレンジはしていますが、なんだかくじけそうです。

 あ、そうだ。『死霊の罠』のクラファンが成功し、コラムを書くことになっておりまして、ようやく着手。実は今週頭から着手予定だったのに、うっかりHBOの『チェルノブイリ』に手を出してしまい、毎晩鬱になっており原稿どころではなくなってました。(もっというとFilthy Vol.3用に漫画を大量に読まなくてはならず時間が全然無かったのでした)で、やっと今日・・・土曜ですけど・・・池田敏春監督の『人魚伝説』、『天使のはらわた 赤い淫画』を観ました。どちらも良い映画なのですが、ウチの奥さんが「”海女さんにこのアマ”って言った!最高!」と見ている横ではしゃいでいて、そっちの印象が強くなってしまいました。とりあえず〆切りまで時間があるので、みんなに喜んで貰えるようなコラムに仕上がるように頑張りますので、よろしくお願いします!

 

さっさと連載を書きあげるの巻 雑記(2019/10/14~2019/10/20)

 続くかどうかわからないけど、週一回くらいは雑記のようなものを書いていきたいと思う。

 毎月中旬から月末にかけては、映画秘宝の連載原稿を書くという習慣になっているのでーーーおかげさまで2年目に突入ですーーーネタになる映画を漁り、テーマを黙々と考え、アウトプットに努めた一週間だった。今月はアタリの映画に早々と巡り合えたこともあり、今月号が出る前に原稿を仕上げて送付。すると担当の田野辺さんから、とあるアイディアと共に「時間もまだあるので、ブラッシュアップしましょう」とリライト依頼。「なるほど」と頂いたアイディアを元に英語サイトを物色。即リライトして送付すると
「いいオチがついて、ひっくり返りました!」
と好感触。文章を書くのはやはり楽しい。ちょっとした薀蓄はもちろん、句読点一つでガラっと印象が変わってしまう。というわけで連載はクリア。しかし別の原稿も仕上げなくてはならないのであった。

 それはそうと原稿の締切というのは、多くの場合「余裕を持った日」が明示されるため、厳守の必要はない。じゃあ何故、僕は原稿をいつも早めに上げるのか?それは僕がペーペーであること、そしてせめて締切前にはなんとか仕上げて、信頼できるライターであることをウリにしているからだ。それに兼業であるため、過度な締切に追われギリじゃないといかんともしがたいという状態にはならないということもある。
 先日、とあるライターさんと某イベントの打ち合わせをしていた時に彼が「原稿が書けなくてね、大変な時があるんですよ。そういう時はね、鏡をみて”書くの?書かないの?死ぬの?”自分に問いかかけて”書きます!”と奮い立たせるんですよ!嘘に聞こえるかもしれないけど、本当なんです!」と言っていた。
 僕は彼の文章が好きで、毎度彼の原稿を読むことを楽しみにしているとともに「たくさん書けていいなあ」と嫉妬のような感情を抱いていたんだけど、やっぱり本業にしてしまうと大変だなぁと思ったのでした。

 イベントといえば「サンゲリア40周年記念イベント」に顔を出しました。ずうずうしくも”俺のサンゲリアの思い出”を壇上で語ることもできて、(異論はいろいろありましょうが)楽しかったです。

 あ、それから、ある友人と縁を切りました。彼の不義理っぷりに腹が立っていたし、僕は性格が悪いので、映画秘宝の連載のテーマを最初「友情」にしようと考え、前説や本文を書いていたのですが、自分で「なんだかキモい」と思い、別のテーマに変えました。しかし、名残りがあるので、来月、そのあたりを気にして読んでいただけると、ちょっとニヤニヤできると思います。

映画『ジョーカー』の薄っぺらさ

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※ネタバレです。

とにかく「早く終わらないかなぁ」と思いながら観ていた。
俺は、安くて中身がスッカラカンなホラー映画ばかりみていてるが 「早く終わらないかな」と思ったことは殆ど無い。安くて中身がスッカラカンでも、その多くはジャンル映画への衝動がある。俺はそれが大好きだからだ。

しかし、この映画には衝動がない。『ジョーカー』の監督のトッド・フィリップスにはあったかも知れないが、俺には全くそれを感じられない。ここにあるのはあざとさだけだ。だから退屈で退屈で心の底から「早く終わらないかな」と思った。こう思ったのは久しぶりだ。

そもそも物語が平々凡々としている。ざっくりいうと病んだ男が度重なる不幸で、完全な狂人になるというお話。良くある話ですね。えぇ、良くある話です。

こんなことを言うと殆どの映画は、凡庸になってしまう。だから映画の面白さというものは、その凡庸さをどう魅せるかにかかっている。で、『ジョーカー』はどうか?これがトコトンなってない。全くなってない。

普遍的な不幸にさらされ、狂気に追い込まれている姿を見せて、観客を共感させ、主人公と同化させるという目論み見え透いている。

特異な精神障害に悩まされているとか、母親の介護で参ってるとか、良い人過ぎて同僚にイジメられているとか、凡ミスで仕事をクビになるとか、人気TV番組の司会者に玩具にされるとか、どこかで見た様な不幸を淡々と羅列されていく。これが、上手く繋がっていれば良いのだが、それぞれ全く絡んでいない。
これだけ羅列すれば、どれか一つくらいは観客の同情を買えるだろうといった具合で、あれがありました、これがありました、それもありました……。しまいにゃ主人公に「つらいのはもう十分なんだ」と言わせる始末。
あちこち散見される社会批判の記号的な表現(たとえば立派な劇場で金持ち達がチャップリンをみて笑っている場面 )も取って付けたようで「おー、政治不信、格差格差、社会派ですねぇ。はいはい。」といった具合。

いちばんお寒いのが、最後10分くらいで突然ジョーカーことアーサー君は、暴動の最中、庶民の怒りのアイコンとして祭り上げられていくくだり。

「ほら、ただのキチガイがヒーローに祭り上げられていくよ!怖いよね!これが世の中!怖いよね!」

あまりに性急すぎて「え?こんなに取り急ぎ?あ、はい。こわいですね。」と寒さ満点。ホアキンの芝居に頼りすぎなんですよ。彼の芝居の勢いが、この映画の荒っぽさや薄っぺらさをボカしているんです。

それに悪意や怒りの正当化を描く場合の素材として、そもそもジョーカーである必要があったのか?ジョーカーとは100%混じりっけ無しの悪人ではなかったのか?

ロブ・ゾンビの『ハロウィン』以降、悪人に確固たるバックボーンを持たせることが珍しくなくなったが、この映画が評価されるのであれば『フォーリング・ダウン』、『ローリング・サンダー』、『丑三つの村』、極端な事を言えばウーヴェ・ボルの『ザ・テロリスト』も再評価されるべきだと思う。少なくとも時代性を伴っているからだ。

“こっち”よりも”あっち”とか、逆張りしたいとかそういうことではない。今、ジョーカーというキャラクターを使って、普遍的な不幸を、狂気を、過去の時代を舞台に描く必要があったのか?と思う。
前述した「普遍的な不幸にさらされ、狂気に追い込まれている姿を見せ、観客を共感させ、主人公と同化させる」という目論みがあるのなら、せめて21世紀を舞台にしてくれたら、俺の評価は変わっていたかも知れない。

在宅勤務中毒

 台湾に4泊3日に旅行に行っておりました。(帰りの飛行機が遅延して、終電後に羽田についたので正確には4泊4日)で、昨日、久しぶりに出社したんですよ。
 チンピラ社員のワスもバラマキ土産を配るくらいの社会性は持ち合わせているので、そそくさと配って歩いていたら、部長の人が「おや、在宅勤務中毒で髪の毛伸びちゃった?」みたいなことを言ってきたんです。
 おいおい、アンタ何ぬかしとんねんと。
 ウチの会社は世の中の「働き方改革」に乗っかってテレワークを推奨している。だから俺はガンガンにテレワークをしているのだ。それなのに、なんだその言い草は。

 部長の人は無邪気なので、なんとなく言ってしまったのだろうが、こういうところから、人の基本的な意識ってのを垣間見ることができる。彼は、仕事が好きすぎて、奴隷の鎖自慢をしてしまう傾向にある。たとえば「正月は2日しか休めなかった」だの「2徹した」だの。年収2,3千万高給取りならまだしも、今日び年収800万程度で、そんな生活ありえないとワスは思うわけで、そんなこといわれても「はー、よー働きますなぁ」ぐらいにしか感じないんですけども。
 さておき、そういう人から見ると、働き方改革って余計な物でしか無いんだなと思うんですよ。何故か?ウチの会社に限ってはテレワークを行う場合、残業してはいけない規則だからです。メールチェックも禁止です。つまり残業を前提にした働き方をしている人にとっては使い物にならんものなのです。

 一方でワスは残業は一切しないし、残業が必要になってしまうようなスケジュールのプロジェクトは全てリジェクトするか、改善を要求しています。だって、そんなに沢山の給料もらえてないし、これ以上責任を負いたくないからです。とはいえ、仕事は仕事なので、割り切って言われたことはキッチリと、そして気がついたことは全て率先して意見するようにしています。そもそも通勤時間が最近延びてしまったので、通勤に一日3時間消費してしまうという人生の無駄使いをさせられている始末。
 現状、在宅勤務を使わない手はないのです。だから、今と同じペースで黙々と在宅を続けるつもりです。それにしても、今回のような言われようは無ぇなあと。

 ちなみにウチの会社は毎週水曜日とプレミアムフライデーは残業禁止で定時後、即帰宅が原則です。しかし、ウチの部で即帰りは俺しかやってません。人によっては退社後、VDI(在宅勤務等リモートワーク用の仮想デスクトップ)で仕事してたりします。要は”働き方改革”の本意であるワークバランスを取るという所に殆どの人が目が行っていないという状態で、結局、部長の人もそういう感じなんだろうなと、心底ガッカリさせられた次第です。