月: 2020年6月

巨大なものが怖い。しかし、嫌いではない

 昨日は鍵穴が怖いという話をした。今日は巨大な物について話そうか。”メガロフォビア”という言葉があるぐらいなので、同種の属性を持ち合わせている方は多いと思う。俺は巨大な物が怖い。だが、鍵穴と違って嫌いではない。ただ怖いのだ。では、都内にあるビルが怖いか?というと怖くはない。建物は怖くないのだ。具体的には巨大な人形、あるいは巨大な図形……が恐ろしいのだ。

 だから大仏など見た日には畏怖にとらわれる。地方によくある巨大な観音様も怖い。”風の塔”も怖い。海に浮かぶ石油プラットフォームも怖い。ただ四角いビルや飛行機、客船は怖くないのに。巨大な空白にポツンとある巨大な物が怖いのだろう。

 でも、嫌いではないから、進んで見に行ったりする。「電車から見えた、あのでかい煙突、見に行くか!」などとわざわざ足を運び、近づいてじっくりと観察。呼吸が浅くなり眩暈を感じる……あの感じが最高にいいのだ。多分、限度を超えると気絶すると思っている。いつか、気絶させてくれるような巨大なものを見てみたい。ロシアの「母なる祖国像」あたりがそのラインではないかと思っている。死ぬまでには見に行こう。死ぬまでには。

鍵穴が怖い

 鍵穴が怖い。覗いたら向こう側から針やプラスドライバー(マイナスではない)で目を突かれるかもしれない。凶器で突かれなかったとしても、見てはいけない風景を見て、心を貫かれてしまうかも知れない。だって、鍵をかけている部屋では絶対に秘密の行為が行われているはずだから。

 鍵をかけている側から考えてみる。それはそれで恐ろしい。鍵をかけているから誰も入ってこられないと考えて、安心できるだろうか?いや、そうはならない。誰かが鍵穴から見ているかもしれないではないか。そんなことを言い出すと、ドアの”のぞき穴”すら恐ろしく感じる。実際、”のぞき穴”から、どこかの誰かに中を覗かれた友人は何人もいる。いっそ鍵穴に仕掛けをして、覗いた者の目を突く仕掛けを施してはどうか?ああ、それなら”のぞき穴”にも同じ仕掛けがしたい。穴を覗くヤツなんてロクなヤツじゃないんだから、片眼ぐらい失っても文句は言えまい。

 鍵穴のことを考える。思考がグルグルと回り続ける。ああ鍵穴。なんと恐ろしい穴なのか。

急に依頼が来たので

午前中にお掃除と昨日、依頼された仕事を仕上げて

「うむ!結構、早く上がった!今日はノンビリできるな!映画を観よう!」(なんだかんだと結局、映画を観るのだ)

と早速、映画を再生し始めた途端突然、見知らぬ……いや美容院とかによく置いてある雑誌から原稿依頼が飛んできまして

「えー!やーすーみーたーいー!」

とか思いつつも、思わず「あ、やります」と。「お金もらえるならやります」と。「世の中、金だろ」と。で、そそくさと書いていたら、この時間ですよ。どーも今年は商売繁盛の年らしく、頑張ろうと思うのでした。

絵の見方と映画の見方

 今敏が「アニメって、実写と違って余計な物はフレームに入ってこないんですよ」と言ってた。最近はフルCGで要らない物を徹底的に消せるかもしれないが、昔はそうはいかなかった。

 そう考えると絵画も同じで、余計な物は描かれない。逆に言えば描かれている物には意味がある。例えば「アンティオキアのマルガリタ」は、必ずドラゴンとセットで描かれる。マルガリタさんは、異教の高官からキリスト信仰を捨てて結婚してくと申し出を断ったために、拷問を受けることになる。その拷問というのが、ドラゴンの形をした悪魔に食われることなのだが、食われた彼女はドラゴンの腹を十字に切り裂いて(別の話では持っていた十字架が光って切れたとかなんとか)生還したという、超強いクリスチャンである。結局彼女は処刑されちゃうんんだけど、そのドラゴン殺しはアトリビュートとして必ず絵にセットで描かれることになっているのだ。

 最初の必要・不必要とは話はずれるが、この絵画の方法は例えば映画を絵画的に解釈する場合に役立つ”物の見方”だと思うのです。

走って、仕事して、寝る

 在宅勤務なので、毎日、このくりかえしである。変化が無い。いや、仕事の内容は変わるのだけど、刺激が無い。なるほど、通勤は毎回色々と酷い目に遭わせてくれるので、刺激にはなっていたのだなと認識。

 でも、仕事の方は順調で、今週は1万字ぐらいの出来高。うん、よくやった!と思う。ご褒美にと「ドルアーガの塔」を黙々やり59階までやってきたとき、エクスカリバーを取り忘れていることに気が付き挫折。

 ああ、まったくもってダラダラとした要領を得ない日記だ。すまん。