メモ
残念なレビューとやらを書いてみた
【追加版】残念なレビューを読んで思うこと
CG批判→本当に区別ついてる?
微妙だった→何が?
眠くなった→寝不足でしょ?
飽きた→集中力がない人。
記憶に残らない→記憶力ある?
カタルシス→出た!専門用語!
既視感→何に似てたか説明しろよ
疲れた→もっと鍛えなさい
— まじさん:ROBOCHAP (@mazy_3) 2015, 12月 27
というツイートを見かけたので、「チャッピー」をネタに残念なレビューを書いてみました。ニール・ブロムカンプ作品を全て見ていることが前提。所要時間10分。624字。
ニール・ブロムカンプには正直飽きてきた。何を撮っても同じだ。驚くほど精密で現実と区別が付かない高度なCG技術で貧困層が裕福層に勝負を挑むストーリーラインは、いい加減お腹いっぱいである。
「第9地区」がベストな構成であったため、いくら解体・再構築してもそれ以上のものは作れない。コロニー住まいのリッチなクソ野郎や未来のブラック企業との対決を描いた「エリジウム」もつまらない作品ではなかったが、万能すぎる治療ポッドの存在や、いい加減な放射線への認識はファンタジー前提でも微妙なもの。しかも後半の対決シーンにおける悪役の味の薄さも気になるところ。じっくりと我慢したフラストレーションが解消されず、折角のポッド開放シーンのカタルシスが減退されてしまっている。
これは「チャッピー」も同じだ。上の「エリジウム」の感想は、そのままチャッピーに適用できないだろうか?治療ポッドをPS4、放射線を記憶のデータ化に置き換えると・・どうだろう?ちょっと無理があるか・・・。しかし、そのくらい既視感に満ちた映画である。
ちなみに別角度からの感想は「ダイ・アントワードの長編PV」である。ヨーランディの甲高い声やノイジーな楽曲は正直疲れるし、だらけ気味のチャッピーとの友情を深めるモンタージュには眠気すら感じる。チャッピーなんてCGの飾りモンみたいなもんだ。あ、そうだ。既視感で思い出したけど、ラストに登場する、某ロボットはビョークのPVに登場したものとそっくりなのでした。
さて、残念なレビューになったでしょうか?そこそこ的確なレビューになってるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?
単語レベルで文章批判すると、レビューの幅を狭めるだけで良いこと無いように感じたので、ちょっと書いてみました。
あ、タグも付けておきましたけど、俺の本心レビューではなくて、ただのネタですので・・・。といっても正直なところ「チャッピー」はそんなに楽しめませんでしたが・・・。
90’s hopeless awesome mix vol.1
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」観て、90年代のawesome mix 作ってみようとおもったら、自分の中から出てきた曲が絶望しかなかった。そういや90年代って、世紀末だけど、ガキんときに夢見てた未来なんてもんな来ないんだろうなあっと思って勝手に絶望してたんだったわ。折角何で以下。説明したら面白く無いので説明は無し。
Dinosaur Jr – Out there
Matthew Sweet – Girlfriend
Shawn Colvin – Sunny Came Home
Radiohead – Fake Plastic Trees
Primus – Tommy The Cat
Nine Inch Nails – Hurt
Collective Soul – The World I Know
Oasis – Sad Song
Portishead – Roads
Duran Duran – Come Undone
ロボコップがあんまり大事じゃ無いロボコップ
ロボコップという映画は俺にとっちゃバカ映画のカテゴリに属している。バーホーベンの映画は大半が社会派気取りのバカ映画だが、その代表格といっても過言ではないだろう。大仰なテーマ曲にダサいピーター・ウェラーの悲壮顔、悪趣味でアホな悪役、階段すら上れないED-209の産廃っぷり、キチガイのオムニ社会長。どれを取ってもバカ映画そのもので、非常に楽しい作品だった。
で、今回のリメイク。バーホーベンが容赦なくすっ飛ばした「ロボットになってしまった主人公と家族の苦悩が云々という要素」があると聞いた時には「んなもん、ロビン・ウィリアムズとトム・ハンクスとゼメキスにやらせときゃいいだろうが、バカ!」と不安になったが、なんのなんの杞憂に終わった。
たしかに「クソ真面目に取り直したなあ」というのが第一印象。でも反芻してみると・・・
- 冒頭の左翼が大喜びしそうなテヘランの自爆テロとED209による子供蜂の巣銃殺
- 中国人が泣きながらロボコップを作っている
- 精神状態が混沌している(悪に振れていない)マイケル・キートンの背後にフランシス・ベーコンの絵。これが後半、無機質な絵に掛け変わるという分かりやすさ。
- ロボ化前に苦痛をアホほど味うオリジナルに対する、本作のロボ化後の精神的苦痛表現
- オリジナルに反して、下世話な事件解決シーンを徹底省略
- よって、ロボコップは単に私怨で動く近年おなじみのヒーロー像に
- その結果、印象に残るのはマイケル・キートンとゲイリー・オールドマンの口論場面
- それ以上に印象に残るやたら色気のあるゲーリー・オールドマンの助手
- マーフィーの嫁の体がだらしない
- ○ ○ ○ ○はやっぱりマザ○ ○ ○て言わないと気が済まないのか
最後の2つはともかく、これたぶん、天然でやってると思うんですよ。基本的には、悪にも善にもなりきれない人々、人間にも機械にもなりきれない主人公を真面目に描きたかったんだろうけど、その要素を生々しくやろうとしたら、やたら滑稽になってしまったという印象。僕はこう言う勢い余ってつんのめったような映画が大好きです。いや、よかったよかった。