ロボコップという映画は俺にとっちゃバカ映画のカテゴリに属している。バーホーベンの映画は大半が社会派気取りのバカ映画だが、その代表格といっても過言ではないだろう。大仰なテーマ曲にダサいピーター・ウェラーの悲壮顔、悪趣味でアホな悪役、階段すら上れないED-209の産廃っぷり、キチガイのオムニ社会長。どれを取ってもバカ映画そのもので、非常に楽しい作品だった。
で、今回のリメイク。バーホーベンが容赦なくすっ飛ばした「ロボットになってしまった主人公と家族の苦悩が云々という要素」があると聞いた時には「んなもん、ロビン・ウィリアムズとトム・ハンクスとゼメキスにやらせときゃいいだろうが、バカ!」と不安になったが、なんのなんの杞憂に終わった。
たしかに「クソ真面目に取り直したなあ」というのが第一印象。でも反芻してみると・・・
- 冒頭の左翼が大喜びしそうなテヘランの自爆テロとED209による子供蜂の巣銃殺
- 中国人が泣きながらロボコップを作っている
- 精神状態が混沌している(悪に振れていない)マイケル・キートンの背後にフランシス・ベーコンの絵。これが後半、無機質な絵に掛け変わるという分かりやすさ。
- ロボ化前に苦痛をアホほど味うオリジナルに対する、本作のロボ化後の精神的苦痛表現
- オリジナルに反して、下世話な事件解決シーンを徹底省略
- よって、ロボコップは単に私怨で動く近年おなじみのヒーロー像に
- その結果、印象に残るのはマイケル・キートンとゲイリー・オールドマンの口論場面
- それ以上に印象に残るやたら色気のあるゲーリー・オールドマンの助手
- マーフィーの嫁の体がだらしない
- ○ ○ ○ ○はやっぱりマザ○ ○ ○て言わないと気が済まないのか
最後の2つはともかく、これたぶん、天然でやってると思うんですよ。基本的には、悪にも善にもなりきれない人々、人間にも機械にもなりきれない主人公を真面目に描きたかったんだろうけど、その要素を生々しくやろうとしたら、やたら滑稽になってしまったという印象。僕はこう言う勢い余ってつんのめったような映画が大好きです。いや、よかったよかった。