ゴア村は内も外も変わらない

 「正月は掃除をしない」という決まりなので、特にすることもなくソーシャルメディアをチラチラと覗きつつ、映画をずっと観ていた。暮れから、諸外国のゴア村の人々と繋がりを持とうと、バンバン友達申請をして承認してもらったので、ゴア村の新年の様子が窺えた。彼らは、ブラックフライデーに買ったビデオ撮り映画ボックスセットの到着を嬉しそうにFBに書いている。

「なんだ、外国の人々も同じか」

 なんとなく嬉しくなる。

 またCeus Rob監督が『ゾンビ・フロム・セクター9』のDVD完成を報告していた。「どこで買えるんや?」という返信が山のようについている。遠く離れた日本では、本国ソフト化前に劇場公開されているのだから奇妙なモンである。

 『ゾンビ・フロム・セクター9』で好きなシーンといえば、豆を食うところ。シングルガスバーナーでいちいち温め直すが一人キャンプっぽくていい。温め直しているのに、温まらないウチにモリモリ食うのもいい。

 それにしてもゴア村観察は面白いなあ。

おみくじマシーン

 今日は毎年恒例の祈祷をしてもらうために近所の神社に。COVID-19で色々ありますが、初詣で密々と並ぶよりは祈祷の方がよっぽど良い。祈祷願いを書いて待合室行くと玄関も窓も全開。寒い。仕方がないが、寒い。

 祈祷を始める前に「今、新型コロナウィルス流行もありますので、そちらの方も合わせて健康祈願をしますね」と神主さん。

 神社もなかなか考えてるもんだ。祈祷終わり、恒例の神主さんによる厄払いの方への言葉が始まる。「ああ、新年だねえ」などと思っていたら、続く話が

 「なんだか、いつもの面々が揃っていて、内輪で祈祷しているような気分ですね!また来年もいらしてください!」

 である。これは新しい。10年通っているから常連なのは間違いない。「毎年ありがとうございます」と返す。

 帰りにおみくじくらいは引いておくかと、おみくじ列に並ぶ。列の先には、木の筒から棒を引っ張り出すアレではなく、デジタルなおみくじマシーンが設置されている。ボタンを押すと「ゲシッ!バシッ!」とストIIのケリの音が響く。なかなか物騒なマシーン。そして、結果は末吉。「うん、こんなもんか」と帰路についたのでありました。 

2020年が終わるので

 何か書かないといかんのか?買って良かったもの、よく聴いたアルバム、ベスト/ワースト映画……。うーん。ベスト映画とワースト映画は秘宝に投げましたが、ランキングには全く影響しない映画ばかり選んだ。相変わらずというか、いつも通り他の方と一年早いサイクルで映画を見ているので、一年ずれるんですよね。そんな秘宝ベスト号は来月発売なので、2021年の映画選びの参考にしていただければ幸いです。あ、ちなみに日本沈没2020にはこれ以上関わりたくないので、どちらにも入れておりません。

 買って良かった……というかiMacとiPad Proを新調して非常に便利に使っております。よく聴いたのは、コリン・ステッドソンの『Color Out of Space』と宮本浩次の『ロマンス』ですかね。

 会社にもロクに出社せず、ダラダラと映画を見て、批評を書いているだけで、一年が終わってしまった。もはや、生きがいは映画と鴨と文筆という幸せな状態。きっと幸せなんだろう。うん。来年はもう少し悪巧みを実現していきたいと思いつつ、今年はおしまい。

明日(12/12)はWIGH映画祭ですよ!!

 今週は本当に忙しくて、なかなか宣伝できなかったのですが、気がつけば明日、新文芸坐さんにて『ワールド・インディペンデント・ゴア・ホラー映画祭』(略してWIGH映画祭)が開催されます。22:30からVIDEO VIOLENCE RELEASING主宰のヒロシニコフ君、新文芸坐の花俟さん、そして僕のトークショーから始まり、朝6時近くまでインディゴア映画を鑑賞する、完全に殺りにきているイベントです。

繰り返し言っているのですが、今回上映する以下の4作品

フラワーズ(2015・米/79分)
ゾンビーズ・フロム・セクター9(2020・ベルギー/87分)
クリプティック・プラズム(2015・米/79分)
ノクタ(2019・独/90分)

これらが劇場で上映されるのは世界初です。要は「普通、劇場で上映されるはずがない作品」何ですよ。事件ですよ。大体、ゴアムービーってちゃんとみたことある人、あんまりいないでしょ?あ、今、アルバトロス系の酷いやつを頭に浮かべたでしょ?違う違う!(いや、あってるかもしれないけど)もうね、レベルが違う。頭おかしい。観ればわかりますが「なんでそうなるわけ?」と思うことしきり。圧倒的な血量に驚くこと間違いなしです。

とにかくですね、金輪際劇場上映なんて望めない作品がみられるのですから、とにかく死ににきてくださいよ!お待ちしております!みんなで死のう!

ケーキを殴ってもそれはスポンジであり、生クリームの飛沫は全員にぶっかかる

 この件なんですけどね。ノンフィクションとして書いた文章を「フィクションにしましょう」と言われたら、そりゃブチ切れるのは当然なんですけど、どうも腑に落ちない。というのは、自死ってのは非常に繊細なコンテンツ(あえてコンテンツと言いますけども)でしょ。遺族に了承をとっているとはいえ、やっぱり俺みたいなヘッポコ文筆家ならまだしも著名人が”ドーン”とコンテンツとして出すのは色々と問題があると思うんです。そこで、ちょっと考えてみたんですね。これ、なんでこう言うことがあり得たのかと。

 例えばですよ。ちょっと想像してみますね。企画があがった時点では、さほどヤバい内容ではなかったとします。自死を扱ったコンテンツはたくさんありますから。担当編集者も「これなら大丈夫だろう」と。で、連載となっているからには、分割して原稿が上がってくるわけです。ところが、想定以上の刺激が強い描写や表現が散見されるようになっていってしまった。そうなると、どうなるか?編集側としては、どうにか世に出したいが、難しい。そんなわけで、あさのさんが書いた作品のリライトを依頼するかどうかを検討するかないし、当人を交えて話し合うかなどするわけですよ。でもここで、何らかの不手際(詰まるところ「フィクションにしちゃえば世に出してもOKなんじゃね?」と言う話)があったとします。それと同時に件のDV相談の炎上が来て、その果てに両者グダグダになってしまった……。とかね。考えられませんかね。いや、これは僕の妄想ですけどね。件の炎上時のあさのさんの振る舞いを振り返っても、そんな感じが浮かぶというか、何というか。cakes側からは何も発表はないので、どっちにしろ俺の妄想以外のなにものでもないですけど。言いたいのはですね、誰が悪いと言うわけでもなく、書き手と編集の齟齬による問題ってだけの話じゃないのかなあと。あえてどっちが悪いのか?聞かれたなら「コンテンツが過激化する事態を想定できなかった、あるいはそもそも記事の全体像を把握できなかった編集」になりますけどね。俺も結構、アレなこと書くから「ナマニクさん、これはダメだよ」といったやりとりがたまにありますし。

 いや「フィクションにしましょう」はねぇよ。俺も怒ると思います。ただcakesをブン殴っていい物として扱ってすぎやしませんか?ちょっと何がおこっていたのか考えてみませんか?という話です。ぶっちゃけ、このコンテンツが公開されたとしても、それはそれで燃えていそうな気がしますけどね。現状踏まえるに。俺だってね、大事な友人がクリスマスイブの夜に首括って死んでたりとか、色んな酷い出来事抱えてますけど、そう言うのはほら、あんまり詳しく言うもんじゃないじゃないですか。だから、そういうの嫌だなあって思いますもん。
 こういうね、小野ほりでい氏も昔から言及していますが、「一度でもおイタをすると、リンチしていい存在」になってしまうのは、めちゃくちゃおっかねぇなあと日頃思っているわけです。
 今日、書きたいことはそのくらいです。あ、そうそう。1記事7000円ってWebコンテンツとしては結構いい方ですよ。