90年代の鬼畜ブームを経て、ゼロ年代の拷問ポルノの登場。そして拷問ポルノを超越すべく行われた倫理観の破壊……という話はこれまで頻繁にされてきた話だ。そんな話を誰が始めたのかって、俺が始めたんですけども……『映画と残酷』でエロ・グロ・ナンセンスを求める心は”郷愁だ”と書いた。つまり、過去に行われてきた残酷へのあらゆるう興味を振り返りであると断言してきた。
今日は東京都現代美術館で開催されている『あやしい絵展』に足を運び、”エロ・グロ・ナンセンス”という言葉の面白い記載を見つけた。
「関東大震災以降、復興後の町の景色は劇的に変化した。都市の俸給生活者も増加し、女性の社会進出も盛んに 〜中略〜 モダンガール、モダンボーイと称される人々は最先端のいでたちで映画、ダンス、自由れんないと言った都会の娯楽に耽った。〜中略〜 ”エロ”は人間の性的な美しさ、”グロ”は飾り気がなくておもしろい、珍妙である、”ナンセンス”はどことなく風刺が感じられる馬鹿げたことと、今でとは少し意味が異なる。社会構造の変化にともない生まれた、それまでの儒教的に道徳への反抗意識を背景とした風潮だ。」
ーー国立近代美術館主任研究員 中村麗子 「あやしい絵通史」より
ははー。なるほどと。いまでは郷愁と感じていたものが、所謂、背徳的なものへの憧れであると。そういうことかと。官能、妖艶、退廃なんだと。勉強になるなぁと!
なるほど、これがエロ・グロ・ナンセンスなんじゃろな。”素のまま”こそがエロ・グロ・ナンセンス。もはや使い古されているであろうが、人を切ったら血が出るんだぞ!という絵が「あやしい絵」として展示されていることに、密かな喜びを覚えるたでありました。
これを突き詰めていくと……こうなってしまう。
なんというか、別に血が出ていなくても、どこか生を剥き出しにして蹂躙しているかのような感覚。これが今の残酷描写の元になっているのはなかろか?などと思ったのでありました。