孤独に生きようとしたら楽しくなってしまった話

質問箱を開いていたときは––今でも開いているけど––面白半分の質問がたくさん来て「そんなこと聞いてどうするんだボケ」と思ってしまい、答えるのをやめてた。けれど、マシュマロを開いたらガチ重な質問が来てしまい、思うところがあるので答えてみる。

まず質問者さんのように、俺も友達が消えてしまい、一人になったことがある。そもそも友達は殆ど居なかった。小中高と映画とゲームと音楽を黙々消費していくのみの生き方だったし、他人に興味が無かったのだ。もちろんゲームソフトやCDの貸し借りはあったけど、ただそれだけの仲。週末に遊びに行ったり、誕生日に呼んだり呼ばれたりなどは一切無かったと記憶している。

そんなんだから小中はキモいモブ役。高校は工業高校でアホばっかりだったから、成績がトップになってしまい目立ちたくなくて、あえて勉強ばかりしているモブ役に徹した。この頃はにピアノとギターをはじめたが、バンドを組むわけでもなく「ぼっち・ざ・ろっく」状態。3年の後半はクラスで成績上位かつ進学希望の5人だけでつるんでいたと思う。仲が良かったのか?といわれると、今は一切連絡を取っていないので、仲は良くなかったんだろう。

転機は仙台にあるFラン大学に入学した時だ。なんとなく大学祭実行委員になってみたら、これが反ウェイ系のウェイ系という奇妙なアホ集団だった。簡単に言うと男女関係なくアホな事をする団体。Fランといえども大学に来る頭はあるので、それなりに行動はわきまえている

「あ、アホはアホなりに遊ぶとおもしろい」

浴びるように酒をのみ、服を着たまま海に飛び込んで、学校内で消化器をまき散らし、街中に無許可で学祭のポスターを貼り、女装してローカルTVに出演して暴れ回り、真夜中に山奥の温泉に忍び込んでひとっ風呂浴びたり、工事現場のピカピカを盗んだり(ちゃんと返した)とにかく合法違法なんでもやった。今思い出しただけでも、スローモーションで皆の笑顔が思い出される。

1年、2年、3年、4年とこのまま過ごすことが出来れば良かったが、4年になって異変が起こった。一人がアムウェアにはまったのだ。これでアムウェイ派と反アムウェイ派に分かれて、全てが崩壊していった。

大学を出ると皆、東京にでるか地元に帰るかだ。結局アムウェイのこともあり、一番仲の良かった友人とも

「死ぬまでに2,3回逢えたら良いな」

と言葉を交わして別れた。

一人になった。そしてWebチャットにはまり、妻と出会って結婚した。でも、妻は病気があって生活はしんどいことが多かった。Webチャットの仲間たちとのオフ会にもよく出たが、色々あってそのWebチャットは徐々に廃れていった。

仕事はSIerだったが、地方のIT業は何の面白みもない。仕方ないので、知り合いをツテに妻の横浜の妻の実家に転がり込む形で上京。

ところが知り合いの会社が半年経たずに倒産。路頭に迷うことになったが、運良く東京には仕事が大量にある。派遣だったが、あっさりと次の仕事が見つかった。そこで今の会社に派遣された。

炎上プロジェクトだったが、チームメンバーがやたら若く、明るかったので深夜残業も休日出勤も楽しくやれていた。もちろん怒ったり泣いたりドタバタしていたけれど、週末は妻と連れだって皆で遊園地で出かけたりと、大学時代を彷彿とさせる楽しさだった。

当時はmixiが流行中。俺も招待してもらい、ソーシャルメディアを楽しんでいた。このときに高橋ヨシキさんニアミスしている。上京したことで輸入DVDが入手しやすくなり、未公開ホラー映画ブログを開設したのもこの頃だ。

先の炎上プロジェクトが終わり別の現場へと移動したが、そこがクソつまらなかったので前の現場の課長に電話して

「俺を雇え」

と言ってみたらあっさり転職成功。Twitterを始めたのがこの頃だ。これで前のプロジェクトで苦労した人たちと楽しくやれると思ったら、次々と退職してしまい、また一人に。もちろん他の同僚とも仲良かったが、週末遊びに行くほどではなかった。

孤独にブログを更新する日々。そこに侍功夫さんからZINE「Bootleg」へ参加してくれないか?と声がかかる。以前、文学フリマで出会ったこと、ヘンテコ未公開ブログを読んでくれていたことがきっかけだ。おかげで、深町秋生先生、葉真中顕先生(昔は違う名前だけど)、真名八重子氏、とみさわ昭仁さん、古澤健監督など著名なライターや監督と知り合うきっかけとなった。友人とまでは行かないまでも彼らとのは刺激になった。これを経て、今は無きTrashUPへの執筆、映画秘宝、そして単著と繋がっていくことになる。

さて友人の話にもどすと、なんだかんだと人々は変わっていく。そして通り過ぎていく。

「この人は随分おかしなひとになったな」

「昔は面倒くさかったのに、いい人なんだなあ」

自分を棚に上げて言うが、こうやって疎遠になったり、よりを戻したりする。去年も元知り合いにめちゃくちゃ腹の立つ事をされて縁切りをしたけど、俺の場合「お前ムカつくから嫌い、消えて」と「楽しいから一緒にいてもらえない?」のどちらかですよ。

そんなことばかりしているから、たまに「俺、ひとりなんじゃないか?」と思うけど、そういうときはこっちから何かアクションを起こすことにしている。俺は出不精で人見知りなので、めったにやらないが「やべえな」と思ったら即行動する。

大学時代の友人が震災鬱で自殺したことがきっかけなんだけどね、やべぇ時とは自分でちゃんとケアをする。出るところに出る。無理してでもなんとか遭う。コロナなんてどうでもいいです。

今の俺のライフラインは、Twitterのスペースや懇意にしている配給さんだったり、是空さんとのやりとりだったりすんだけど。

ああ、そうそう、自分で何かを作り出すと良いのかも知れない。おかげで知り合いも沢山増えたし、生きていて楽しいなと思える瞬間がある。

うん、何か作れば良いんじゃないかな。作ろう。なんでもいいよ。誰も観たり読んだりしてくれないかも知れないけど、作って爪痕を残そう。誰かが気がつくよ。きっと。

そう考えると、独りでいいやと思って書いていたZINEが今の俺を作ってるんだろうなあ。

役に立ったかどうか知らんが、以上が回答である。

 

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