明日(12/12)はWIGH映画祭ですよ!!

 今週は本当に忙しくて、なかなか宣伝できなかったのですが、気がつけば明日、新文芸坐さんにて『ワールド・インディペンデント・ゴア・ホラー映画祭』(略してWIGH映画祭)が開催されます。22:30からVIDEO VIOLENCE RELEASING主宰のヒロシニコフ君、新文芸坐の花俟さん、そして僕のトークショーから始まり、朝6時近くまでインディゴア映画を鑑賞する、完全に殺りにきているイベントです。

繰り返し言っているのですが、今回上映する以下の4作品

フラワーズ(2015・米/79分)
ゾンビーズ・フロム・セクター9(2020・ベルギー/87分)
クリプティック・プラズム(2015・米/79分)
ノクタ(2019・独/90分)

これらが劇場で上映されるのは世界初です。要は「普通、劇場で上映されるはずがない作品」何ですよ。事件ですよ。大体、ゴアムービーってちゃんとみたことある人、あんまりいないでしょ?あ、今、アルバトロス系の酷いやつを頭に浮かべたでしょ?違う違う!(いや、あってるかもしれないけど)もうね、レベルが違う。頭おかしい。観ればわかりますが「なんでそうなるわけ?」と思うことしきり。圧倒的な血量に驚くこと間違いなしです。

とにかくですね、金輪際劇場上映なんて望めない作品がみられるのですから、とにかく死ににきてくださいよ!お待ちしております!みんなで死のう!

ケーキを殴ってもそれはスポンジであり、生クリームの飛沫は全員にぶっかかる

 この件なんですけどね。ノンフィクションとして書いた文章を「フィクションにしましょう」と言われたら、そりゃブチ切れるのは当然なんですけど、どうも腑に落ちない。というのは、自死ってのは非常に繊細なコンテンツ(あえてコンテンツと言いますけども)でしょ。遺族に了承をとっているとはいえ、やっぱり俺みたいなヘッポコ文筆家ならまだしも著名人が”ドーン”とコンテンツとして出すのは色々と問題があると思うんです。そこで、ちょっと考えてみたんですね。これ、なんでこう言うことがあり得たのかと。

 例えばですよ。ちょっと想像してみますね。企画があがった時点では、さほどヤバい内容ではなかったとします。自死を扱ったコンテンツはたくさんありますから。担当編集者も「これなら大丈夫だろう」と。で、連載となっているからには、分割して原稿が上がってくるわけです。ところが、想定以上の刺激が強い描写や表現が散見されるようになっていってしまった。そうなると、どうなるか?編集側としては、どうにか世に出したいが、難しい。そんなわけで、あさのさんが書いた作品のリライトを依頼するかどうかを検討するかないし、当人を交えて話し合うかなどするわけですよ。でもここで、何らかの不手際(詰まるところ「フィクションにしちゃえば世に出してもOKなんじゃね?」と言う話)があったとします。それと同時に件のDV相談の炎上が来て、その果てに両者グダグダになってしまった……。とかね。考えられませんかね。いや、これは僕の妄想ですけどね。件の炎上時のあさのさんの振る舞いを振り返っても、そんな感じが浮かぶというか、何というか。cakes側からは何も発表はないので、どっちにしろ俺の妄想以外のなにものでもないですけど。言いたいのはですね、誰が悪いと言うわけでもなく、書き手と編集の齟齬による問題ってだけの話じゃないのかなあと。あえてどっちが悪いのか?聞かれたなら「コンテンツが過激化する事態を想定できなかった、あるいはそもそも記事の全体像を把握できなかった編集」になりますけどね。俺も結構、アレなこと書くから「ナマニクさん、これはダメだよ」といったやりとりがたまにありますし。

 いや「フィクションにしましょう」はねぇよ。俺も怒ると思います。ただcakesをブン殴っていい物として扱ってすぎやしませんか?ちょっと何がおこっていたのか考えてみませんか?という話です。ぶっちゃけ、このコンテンツが公開されたとしても、それはそれで燃えていそうな気がしますけどね。現状踏まえるに。俺だってね、大事な友人がクリスマスイブの夜に首括って死んでたりとか、色んな酷い出来事抱えてますけど、そう言うのはほら、あんまり詳しく言うもんじゃないじゃないですか。だから、そういうの嫌だなあって思いますもん。
 こういうね、小野ほりでい氏も昔から言及していますが、「一度でもおイタをすると、リンチしていい存在」になってしまうのは、めちゃくちゃおっかねぇなあと日頃思っているわけです。
 今日、書きたいことはそのくらいです。あ、そうそう。1記事7000円ってWebコンテンツとしては結構いい方ですよ。

 

アリス、ブッチャー、カットスロート、ダゴン

 是空さんとのお仕事『アリス・スウィート・アリス』、『ドクター・ブッチャー 人間解剖島』、『カットスロート・ナイン』、『ダゴン』と一段落ました。来年もまたあれやこれやと一緒にやらせてもらう予定ではありますが、とにかく楽しかったです。一番苦労したのは、『カットスロート・ナイン』でした。何せ、資料が何もない。仕方ないので当時の雑誌やら海外サイトを回って情報収集、人間関係を洗い出して、解説へと繋がりを作っていくという方法で仕上げました。正直なところ、ウェスタンはホラーより面倒臭い人が多いので、「ツッコミがあったら怖いなあ」と言う思いがありましたねえ。でも、今回の4作品の中では、一番見て欲しい作品です。
 「アリス・スウィート・アリス」と「ドクター・ブッチャー」はいつも通りの仕事運びだったのですが、ブッチャーは自分で組版してみたら、どうにも校正がうまくいかず、入稿はギリギリ、直前で色々と間違いも発覚して、是空さんにはご迷惑をおかけしました。すみません。でも、爆発的に売れたようで初回盤はもうなくなってしまったみたいです。でも、4つのバージョンも入ったお得仕様なので、ぜひこの機会に購入していただければと。もちろんアリスも完全版としては初めてのリリースなので、こちらもよろしくお願いします!
 『ダゴン』はですね、スチュアート・ゴードン追悼コラムにしたいと思って、書きました。賛否あるかもしれませんが、彼の死にまつわる書きっぷりにしてあります。彼の仕事の総まとめとも言える内容になっております。こちらも傑作・・・というか、4作品どれも傑作なので、何としても手に入れていだだきたい!今日、書きたいところはこんなところです。

ご冥福を祈らない

こんな記事を見かけました。

「俺も謝罪会見するのかな…」アーティストが語るフルボッコ社会への違和感

俺は銀杏BOYZの音楽は全く好きじゃないけど、面白いこと言うなあと。

「好きな人とか、有名人が亡くなってさ。「ご冥福を」とか、つぶやくでしょ。言うなよって。」

これにはとても共感できましたね。人が死ねば「ご冥福、ご冥福」。映画館が潰れれば「惜しい、世話になった」。で、140字のポエミーな思い出か、ナレッジマウンティングの材料にされちゃうのね。あれ、嫌い。だから俺、ご冥福祈らない。そもそもご冥福って何だよって「あの世で幸せになってな」とか意味わかんねぇっての。言うとしても「お疲れ様でした」ぐらいしか言いようがなくてですね。イラっとするんですよね。

俺、ツイッターはモリモリやってますけど、、今は自前の記事やイベントの宣伝、カモと映画の話しかしなくなった。だってめんどくせーんだもん。知識をアップデートしろだの、社会を見ていないだの。揚げ足とってくる奴。俺もたまにイラっとして文句言うけどさ。「あー、あんたら他人のことでよくもまあそんなに必死になれますね!暇なんですね!」と。

全然生産的じゃないんだよね。俺、生産的じゃないの大嫌いだからさ。ああいう”自分でどうにもならない範囲”に対して文句ばかり言っているやつを見ると、何か生み出していけよと思うんですよ。世の中を憂いて、鬱憤ばらしするのは構いませんけど、巻き込まないでくれよと。なんだか、自己矛盾的な日記になりましたが、今日言いたいことはそのくらいです。

危険回避と自由意志

こういうまとめを見かけたのです。

就活の謎マナー「全員同じようなスーツ、女子はヒール靴」がなくならないワケ 記事に、「昔っから全員同じ服装で就活してることを問題視されているんだ」「そんな会社行かなきゃいいのに。どうせつまんないよ」など感想ツイート

ワスの出社時の服装は、夏はタンクトップに半袖シャツ、冬はパーカー、パンツは常にブラックジーンズ。でも、超氷河期であるワスも就活当時は、オレンジ色だった髪の毛を真っ黒に染め、紺色スーツに革靴という格好でありました。今思えば、Tシャツで面接受ければよかったと思いますが、やはり「落とされる危険性」を回避するためにやらざるを得なかったんですよね。一応、行きたい会社はあったので。まとめの反応に「お作法通りの格好をしているか否かをみる会社なんぞ、行かなきゃ良い」と言う人がいますけど、そりゃあんたはそれで良いんだろうけどさ、今、就活している人たちは危険回避に必死なワケですよ。危険を犯してまで博打的にTシャツで面接に挑めるかどうかってなると、そりゃあね、難しいよね。人生かかっているんだから。

社会に出てからも、見てくれでグダグダいう奴はいるんですよ。ウチの会社はやることやってりゃ、基本的には文句言われない社風なんですが、それでも、バイアスをかけて見てくる人はいます。スイカ髪、青髪、半モヒカンなどいろいろやりましたけどね。「攻めてるね」と普通に接する人もいれば、「こいつは仕事ができないに違いない」という印象をもたれてマイナスからのスタートになる時もあります。大体、後者の解釈をしてくる人は、あんまり仕事ができない人なんですけど。とはいえ、危険回避から考えると普通の服装をしているのが一番良いわけで。じゃあ、なんでアンタはそんな変な髪型して、ヒョコヒョコと妙な歩き方をしているの?と問われたら

「そうしたいからです。」

の一言で終わってしまうんですね。今はそこそこ普通にもどりましたけど、それでも「あれ?その髪の色、染めてるの?」と言われたりします。白髪と黒髪が見事な配合により、綺麗な銀髪になっただけなんですけどね。でも「相変わらず、攻めてるなあ」と言ってくれる人も結構おりまして。それはそれで「あ、格好よく見えてるんだな。ヨシヨシ」と思うことにしています。

服装云々で文句を垂れるのは老害という話をよく聞きますが、SNS上で「ナマニクなんて、髪型からしてアレじゃねぇか」とか「人に笑われていることに気がつかないオッサン」とか憎まれ口を叩いている若い輩を幾人か観測したので「人と違うところを論って何かハンデと見なしたい人」はどの年代にも必ずいるじゃないかなーと。見た目がそのまま生き方のアティテュードだというのは間違ってはいないんですけどね。その解釈に色々と齟齬が出てきてしまう危険性ってのは、とりわけ日本だと多いのかなと思った次第です。はい。