走る楽しみといえば、カモである。もはやカモのために走っているといっても良いだろう。何故、近所の川のカモは、人間慣れしていないので、近づくとススーっと逃げて言ってしまう。都心の公園にいるカモちゃんとは違うのだ。それがまた良い。遠くからしかみられないプレミア感。これこそが野鳥の醍醐味よ。しかし、今週はカモ遭遇率が極端に低下。非常に寂しい。土手を走り続けて3年。カモ観察は1年だが、また戻ってきてくれることを祈るのみだ。
ところで、一年近く前の話。ちょっとした事故的な出来事があり、以降、友人の一人と連絡を絶っている。詳細は言えないのだが、自分の中で未だに納得いっておらず、解決していない。
納得しようとしたのだが、どうしても腑に落ちない。何故腑に落ちないかは明らかで、”俺に全く非がないのに、家族の生活を脅かされた”からである。それで「納得しろ、友人だったでしょう?」と言われても、どうしても飲み込むことはできなく、加えて一方的に「連絡を絶つような事を公言するとな」と指示をされたのは筋が通らないと思う。だから僕は「時間がほしい」と素直に連絡をした。ところが、件の友人は半年経たぬうちに「反省してます。で、お願いがあります」と連絡をしてきたのである。
もし彼がこれを読むようなことがあったなら、何がどうなっとくできなかったのか?どうして無視をしているのか?をもう一度考えてみてほしい。
ぶっ壊すのは簡単だが修復するのは難しい。それは分かっているはず。分かっているよね。俺が待っているのはたった一言なんです。それが分からない友人じゃないと僕は思っています。